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  • 2007.08.26 Sunday
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二十日のコンサート

 来る二十日、荻窪の本郷教会で、コンサートに出演する(5時開演)
今回は、いつも淡野弓子さんと演奏している、アマチュア・プロの混合オーケストラの中で、通奏低音を弾く。一部の曲では、リーダー役も務める。
ビーバーの「教会へ行く農民」もやる。これは、コンヴェルスムで何度も演奏した曲だが、今回も私は最後の楽章で太鼓を叩く。
アマチュアの人たちとやるのは久しぶりだが、元々私は子供の頃から、こういう素朴に音楽を愛する人たちに囲まれて育った。
だから、今でも自分は少々プロ意識が足りないのかも知れない、と思う。
 二十日には、ヴィヴァルディの「夏」も演奏する。
一昨日、その練習をしていたら、本物の雷が落ちた。
杉並区一帯が数分間停電した。
二十日の本番でも、一度は雷を落とすつもりだ。停電にならないといいけど。

コンサートにどうぞ!

今月、私が出演するコンサートの中からいくつかご紹介したい。

   その1

5月7日、昼、夜、2回公演で、イタリアン・ヴァージナルとクリストフォリ・ピアノを弾く。
場所は、大宮の郊外にある小田純一さん宅。気持ちのいい環境の中にたつ大きな家で、50人程度。
イタリアン・ヴァージナルは、チェンバロの最初期の形。クリストフォリ・ピアノはピアノの最初期の形。
いずれも、久保田チェンバロ工房の意欲作。
曲は、最古の鍵盤用譜面から「エスタンピ」(1320年頃)、スウェーリンク「緑の菩提樹の下で」、スカルラッティ ソナタ、バッハ 「フランス風序曲」 他。
連絡先 小田0486−48−6443 

バッハはピアノを弾いたか?

クリストフォリがピアノを発明したのが、ほぼ1700年頃だった。それは、当初からかなり高性能な「使える」楽器であったことは、前にも述べた。
それなのに、である。この新楽器のために曲が書かれ始めるのは、ずっと後のことなのである。
厳密に言えば、「ピアノのために」とはっきり指定した曲が現れるのは、1800年頃、つまりピアノ発明の100年後辺りからなのである。
では、それまでこの楽器は何をしていたのか。
 モーツァルトのピアノ・ソナタは、現在ほとんどの場合、モダン・ピアノ、またはフォルテピアノで弾かれている。しかし、モーツァルトが実際にピアノを手に入れたのは、1782年以降のことで、それは既に彼の晩年のことだった。それまでの彼は、チェンバロやクラヴィコード、オルガン、そして、フォルテピアノなどを、場合によって弾き分けていた。そして、鍵盤曲を出版する際には、「チェンバロ、またはピアノのために」という意味の注意書きを添えた。
 ハイドンがピアノを知るのもやはり同じ1780年代と思われる。だから、彼の大半のソナタは、チェンバロで弾かれたものだろうということになる。
ベートーヴェンですら、作品27辺りまでのソナタには、ピアノでもチェンバロでも弾ける、と書き添えている。モーツァルトの若かった頃は、「チェンバロ、またはピアノ」というように、チェンバロが先だったのだが、既にこのころではピアノの方が有力であったと見えて、「ピアノ、または、チェンバロでも」という順番になっている。
 さて、バッハの場合はどうなのだろう。1733年のライプツィヒでのバッハの演奏会の広告、「新型のチェンバロを使用したコンチェルト」という表現は、フォルテピアノを指しているのだろうか。
 バッハの友人で、仕事仲間でもあったジルバーマンが、クリストフォリのピアノをかなり正確にコピーしていたことは、よく知られている。ジルバーマンは、最初はド・マッフェイ公爵が描いた図面を見て、試作したが、後には、クリストフォリの現物を直接見て、それを模倣した。少なくともアクションは全く同じ物を作った。
そして、楽器本体は、より重厚な作りにして、豊かな響きを目指したものらしい。
バッハはこれを、割りに早い段階で知っていた、ということが報告されている。最初バッハは気に入らず、いろいろと批判し、特に高音域に不満だった。ジルバーマンは、そのことで心にわだかまりを持った様だが、後に工夫改良を加え、再びバッハに見せて、今度は十分に満足、との評価を得た、というのだ。
 この問題は今なお大いに議論されていて、例えば最近翻訳が出た、ブォルフのバッハ伝では、否定的である。しかし、楽器にあれほどの好奇心を持っていたバッハであってみれば、やはりこの新発明を試さずにはいられなかったのではなかろうか。
 もし、1733年にバッハが、クリストフォリ・タイプのピアノを使えた、とすれば、彼はそれでどんな曲を弾いただろうか。例えばそれは、1735年に出版された『クラヴィア練習曲第2集』に収められた曲、つまり、イタリア風協奏曲、そして、フランス風序曲でもあっただろうか。
 私は、先日のクリストフォリ・ピアノを使った演奏会で、その二つの曲を弾いてみた。結果は、期待を上回って良好であった。特に、イタリア風協奏曲がいい。
(続く)

クリストフォリ・ピアノ

 一昨日、埼玉県川越の小さなサロンでコンサートをした。
今、オーディオ界を騒がせつつある「黒澤アンプ」(ステレオ・サウンド誌の今年のグランプリを受賞)。その設計、製作、販売を一手に行っているオーディオ・ショップ、カナンでのサロン・コンサートだ。
主催者の黒澤さんは、すばらしい木材を使ったログ・ハウスをここに建て、そこでオーディオの修理販売をする傍ら、お気に入りのミュージシャンを招いて、毎月、小さいながら心のこもった演奏会を行ってこられた。私はかれこれ10年前から、毎年お邪魔している。
 さて、今回私が弾いたのは二つの楽器、いずれも久保田昭の最新作だ。1つは、イタリアン・ヴァージナルと呼ばれる小さなかわいいチェンバロ。一抱えほどの大きさで、重さも一人で楽に持ち運びできる。それでいて、4オクターヴの音域を持つ。ハープに近い魅力的な音色だ。私はこれでまず、スウェーリンクとジョン・ブルの曲をいくつか弾いた。
 このイタリアン・ヴァージナルは、いわば最初のチェンバロと言っていい実にシンプルな楽器なのだが、この日、私が弾いたもう1つの楽器は、最初のピアノと言える物であった。
クリストフォリが発明した、ピアノの元祖(正確には「強弱の出るチェンバロ」と呼ばれた)のレプリカである。このオリジナルは現在、ニューヨークのメトロポリタン博物館、ライプツィヒ大学博物館、そしてミラノの楽器博物館に保存されている。つまり、クリストフォリ・ピアノは世界に3台しか残っていないのだ。
クリストフォリはピアノの発明者としては良く知られていたが、これまでは修復の不徹底もあって、楽器そのものにどれだけの価値があるかという点が曖昧だった。それが、2000年に、ピアノ発明300年ということで、これを見直そうという機運が世界的に盛り上がった。日本でこれの正確なレプリカを試みたのは、堺の山本宣夫氏であった。私はその楽器を2000年2月のカザルス・ホールでのリサイタルで紹介した。
 山本氏の楽器は、ライプツィヒのクリストホリを忠実に再現した物で、元の楽器で、弦と弦の距離が不ぞろいなところまで、正確に模倣した、執念の力作であった。私は、それに接したとき、クリストフォリが既に、現代ピアノに必要な要素をすべて用意していたことに驚かされたものだ。ダブル・エスケープメントを使って、ハンマーを指の速度の9倍近い速さで弦にぶつけることができる。また、帰ってきたハンマーが2度打ちしないためのキャッチ機構も安定している。
 アクションだけを比べるなら、クリストフォりより50年後の、モーツァルト少年時代のフォルテピアノの中には、これより遥かに劣った物もあった。それほどクリストフォリは進んでいたのだ。つまり、ピアノの歴史は初期において、いったん退化したのである。
 昨年、チェンバロ製作家久保田彰は、満を持して、クリストフォリ・ピアノの製作に乗り出した。彼はチェンバロ作りの立場から、正確なレプリカというよりは、現実的に使いやすく、弾きやすい楽器を目指した。その結果、実に繊細で、指に優しい楽器が出来上がった。既に何人かの演奏家が、この楽器を舞台で弾いている。久保田は、現在もなおアクションを改良し、当初見られた問題点(場所によって、ノイズが出る。強弱のコントロールにばらつきがある、など)を克服しつつある。
 というところで、私がどういう曲を弾いたか。それはまた、次回。
(続く)

録音を終えて

四日間にわたる、所沢ミューズ・ホールのオルガンによるCD録音を完了した
百個に近いストップを持つこの大オルガンの多様な可能性をできるだけ引き出そうと、想像の翼を思いっきり広げて、大いにチャレンジ精神を発揮したつもりだ。
 バッハでは、音の純粋さとリズム感、そして対位法的な絡みを出そうとし、
メンデルスゾーンではロマン派風の歌うオルガン、ドラマティックなオーケストレーションを可能にするオルガンを目指し、
ラインベルガーでは、後期ロマン派のカラフルで繊細、そして時に豪快なオーケストレーションに乗せて、ワーグナー風の幅の広い叙情に没入した。
これに対して、ブラームスでは室内楽風の緻密な演奏、内面的に深い響きによって、あの名曲にチャレンジし、
ハウウェルズの作品では、ある意味、さらに内向的な音楽、ピアニシシモとメゾピアノの間を、クレッシェンド、ディミニュエンドをふんだんに使いつつ揺れ動く、静謐な響きを作ろうとした。
 時間は十分にあったので、心行くまで音楽に分け入ることができた。今の私が持てる力を、百パーセント以上出すことができたと思う。
百パーセント以上、というのは、録音中に、今まで考えもつかなかったようなアイディアを突然得て、急遽それに挑戦する、ということが何度かあったからだ。ありがたい恵みである。
 といっても、これが、1年2年を経て、また聴いてみると、もう一度録りなおしたくなってしまう。人間は変わる。前にはできなかったことができるようになる。分からなかったことが分かってくる。こだわっていたことがどうでも良くなったりもするし、また、新たなこだわりが生まれもする。
一生、これで良し、ということはないのだろう。
 しかし、一方、今作った録音は今出ないとできない演奏を記録している。同じことは1年後、10年後にはできないものなのである。その意味で、録音には、それそのものの命が宿っている、と言える
 さて、しかし、大オルガンの響きを、お茶の間やヘッドフォンで聴こうという音楽ファンがどのくらいいてくれるものだろうか。それを考えるとちょっと心もとない。
録音中も、「これをラジカセで聴いた場合どう聴こえるだろう」とか
逆に、「最高級のオーディオで聴いた場合は?」という風な疑問を出し合って、
録音エンジニアの小島氏と共に検討を重ねた。
さらに、今回は、私の長年の友人であるオーディオ・エンジニアの黒沢さんも、録音現場を覗きにきてくれた。彼が今作っている、通称「黒澤アンプ」は、全オーディオ界を驚倒させつつある。「黒澤アンプ」で、自分のCDを初めて聴いたときのことを、私は忘れられない。なにしろ、自分の演奏が一段と巧くなったような気がしたのだから。音作りの魔法と言うべきか。
しかし、黒澤さんはそうは言わない。「元の音を、忠実にそのまま、フレッシュに出しているだけなんだよ」と言うのである。
録音後の打ち上げは、もちろんオーディオの話に花が咲いた。

オルガンのCD録音

 私は子供の頃から教会でオルガンを弾いていたので、オルガンという楽器にはいつも特別な感慨を持つ。新しいオルガンが建造されるという話を聞くと、それがどこであっても、思わずその情報を集めて、自分のことのようにわくわくしてしまう。古いオルガンの名器にももちろん夢中になる。ヨーロッパに出かけるときには、必ず歴史的なオルガンを訪ねる。中性、ルネッサンス、バロック、ロマンティック、それぞれに、全く異なるオルガンが「発明」された。しかも、オルガンという楽器の特徴として、新しい楽器は、古い楽器の上に、或いは、中に、または、側に作り足されるのが普通だった。つまり、一台のオルガンの中に、いろいろな時代のオルガンが同居している、というケースが多いのである。何と面白いことではあるまいか。
 この改築の実際は、細かく見ると、実に多様で、昔のオルガンのパイプだけが、新しいオルガンに転用されることもあり、別の教会のオルガンがそっくり解体、移送されて、新しいオルガンとして取り付けられることもある。(ドイツ・ハンブルクの北15キロの所にあるカッペルのオルガンなどはその例。これは、名工シュニットガーの残したオルガンとしては、殆ど唯一後世の手が加わっていない貴重な物だが、今置かれている教会にはちと大きすぎるのである。)
 新しくオルガンを造る場合は、それが置かれる教会やホールの響きにマッチした物にすることが何よりも望まれるが、これがそんなに単純ではない。やはり、そのオルガンを使って、どういう音楽をどのように演奏したいかという演奏家、またはオーナーの意思が重要なのだ。それがはっきりしていないと、結果的に、何でも弾ける、という風な折衷的な物にならざるを得ず、そういう楽器では、皮肉なことにどんな曲もあまりちゃんとは弾けない、ということになりやすい。
 折衷が悪いというのではない。音楽史はむしろ折衷の連続だった。バロック時代のオルガン建造の双璧の内でも、折衷を嫌ったジルバーマンの純粋主義よりも、常に古い時代のパイプを転用し、他の地方の様式を取り入れようとしたシュニットガーの折衷主義の方が、ドイツのオルガン史に豊かな実りをもたらしたと言える。
ただ、設計において、実際の響きとその運用に関して具体的なヴィジョンがあったかどうか、ということが重要なのだ。ここが曖昧だと、折衷は単なる中途半端に終わってしまう。
 
 前置きが長くなった。明日から二日間、所沢ミューズ・ホールのオルガンを使った録音セッションの第2弾を行う。今回録るのは、ラインベルガーのソナタ第17番、ハウウェルズの「タリスの遺言」、そしてブラームスの《主題と変奏》を私がオルガンのために編曲した物、の3曲だ。
このオルガンはホールともよくマッチしており、その上に、ストップ構成、音色、鍵盤メカニズム、オルガン全体の構造に、確かなヴィジョンを感じさせる。プログラムの選曲でも、実際の演奏でも、安心して思う存分音楽に没頭することができるのだ。オルガニストにとってこれほど嬉しいことはない。
 私の編曲したブラームスの「主題と変奏」は、去年の10月に、阿佐ヶ谷教会のコンサートで初演した物だが、その後も改良を加えてきた。この曲は、弦楽6重奏曲の第2楽章として、おそらくブラームスの作品中でも屈指の名曲だが、ブラームス自身がピアノ独奏版、ピアノ連弾版などに編曲していて、実際にはどの版が最初に書かれたのか分からない。こういうことがブラームスにはよくある。彼の四つの交響曲には、やはりピアノ連弾版と2台ピアノ用の版画あるし、ピアノ・コンチェルト第1番には連弾版、「大学祝典序曲」には連弾版がある。いずれもこれらはブラームス自身の筆によるもので、オーケストラ版に勝るとも劣らぬ完成度を感じさせる。作曲の時期など、なかなか特定しにくいケースが多いのだが、在り様は殆ど同時進行で二つ、或いは三つの版を作ったのではないか、と思わせる。
 私は、これらブラームスの編曲作法を参考にして、さらにオルガンの特徴を生かして、今回の編曲に挑戦した。後は弾くだけである。明日は雨が止んでくれるとありがたいのだが。というのも、私はどうも、雨の日は演奏が奮わないからだ。

サンサーンス 動物の謝肉祭

今、「動物の謝肉祭」の譜読みをしている。いずれはこれを完全な編成で(グラス・ハーモニカも使って)公演したいのだが、今回はベルコヴィッツによる2台ピアノのみのための編曲版を取り上げ、来る5月21日、荻窪カンゲイカンで演奏する。
 「動物の謝肉祭」には2種類のロバが出てくる。一つはチベットのジゲタイと呼ばれる野生の荒々しいロバ、もう一つは、いわゆる鈍間とか阿呆の象徴とされる哀れなロバである。もっともサンサーンスはこの後者のロバを「耳の長い人物」とし、直接「ロバ」とは書いていない。これはロバに似たある種の人間を暗示したもので、こういうのはクープラン、ラモーの時代からフランスのサロンで流行した皮肉遊戯だ。
ジゲタイのロバの方は、二人のピアニストが一拍ずつ左手と右手を交互に使って、急速な音型を弾きまくる音楽だ。全曲中唯一プレストの指示がある。これを、二人のピアニストが背中合わせになって弾けば、交互する左手と右手がそれぞれロバの四足の動きに見える、ということなのだろうと私は思う。
 プレストと言えば、「謝肉祭」のテンポ指示は、アンダンテ・グループ、モデラート・グループ、アレグロ・グループの3種類にほぼ分類できる。
つまり、サンサーンスにとってアンダンテは「遅い」テンポの代表なのだ。例えば、全曲中最も遅い「亀」には、アンダンテ・マエストーソが指示されている。
これは一般には「亀」を表したい、ということもあって、非常にゆっくりと奏されることが多い。聴いているとレントかアダージョの音楽だと勘違いしてしまう。私はそんなに遅くすることもない、と思っている。確かにサンサーンスにとってアンダンテは遅いテンポだし、マエストーソ(堂々と)も添えられているのだが、それにしても、レントかアダージョを書くことだってできたはずだ。
「亀だって一生懸命歩いているのだ」と言いたくなる。
 他の遅い曲では「森の中のカッコー」がただのアンダンテ。「水族館」がアンダンティーノ、「白鳥」がアンダンティーノ・グラツィオーソだ。このアンダンティーノの2曲はいずれも水の上、または中にいる生き物を描いたものだ。水の流れを表すアルペッジョが全曲に横溢している。「亀」や「カッコー」のアンダンテよりは幾分速いテンポが要求されていると見ていいだろう。
 「水族館」にはグラス・ハーモニカという楽器指定がある。グラス・ハーモニカには2種類あった。水を入れたコップを並べたような物と、水をはった水盤の上で大きさの異なるガラスの皿を何枚も横に取り付けた回転軸を回す物とである。
「水族館」の場合は前者の方と思われる。普通現代では、グロッケンシュピールやベル、またはチェレスタといった金属製の楽器で代用されているが、何とかガラスの音が聴きたい。ワイン・グラスを並べて再現することはできないものだろうか。
(続く)

ある日バッハは

音楽の演奏と作曲の在り様は人によって大きく違い、10人10様なのだろう。しかし、また別の地点、たとえば、天の川の対岸から見れば、300年ぐらいの時の隔たりなどは、箸でつまめるほどの距離でしかあるまい。
音楽に没頭していると時々この宇宙を横断して、あちこちから景色を見ているような気になることがある。
 一晩、バッハの平均率第1巻第16番ト短調の前奏曲とフーガを味わいつつ弾いた。何度も何度も弾いた。
この曲は、トリルと分散和音による、心を掻き立てるようなフレーズで始まる。ここはドビュッシー的な、つまり、印象派の手法を思わせる。
しかしその渦が静まると、16部音符と32部音符による短短長格のリズムが徐に紡がれだす。
「このリズム、どこかで……」と記憶の手帳を繰っていて、はたと思い当たった。バッハの2声のインヴェンション第14番変ロ長調だ。あれと同じではないか。同じフラット二つの調合、同じ拍子、そして同じ雰囲気、同じリズム型。
バッハがインヴェンションを完成させた時期(最終稿は1723年)と、平均率を書き上げた時期(1722年)は殆ど重なる。しかも、両者共に、長男フリーデマンのための練習帳の中に、その原型を見ることができる。 
ある日、バッハはふと同じリズムを使って二つのプレリュードを作った。そしてそれを、愛する長男のために手帳に書き込んだ。それらの曲はさらに、親子の対話の中で成長し、「平均率」と「インヴェンション」の一曲となった。ということではあるまいか。

バッハ 前奏曲とフーガ Es Dur 変ホ長調

今回の録音に取り上げたバッハは、泣く子も黙る名曲、あのエス・ドゥーア、つまりバッハの最大のオルガン曲だ。
この曲は全てのオルガニストにとって最も重要なレパートリーなのだが、私の場合、最初に人前で弾いたのは25歳の時だった。そのときは曲にはじき飛ばされないようにするのがやっとだった。そしてそれからほぼ四半世紀が経過した。
その間、何度もこの曲に挑戦し続けたが、なかなかいい演奏にならなかった。何かが常に足りないのだ。
子供の頃はあらゆるおもちゃを分解したものだが、それをまた再構築するのも好きだった。ところが、一生懸命やっても最後の螺子が足りなかったり、逆に何かの部品が余ったりすることがあった。
そのときの落ち着かなさに近いものを、この曲を弾いている自分に感じるのだ。少しばかり工夫したり、アイディアをひねり出したりしたぐらいではとうてい間に合わないような大きさと深さ、多様さと統一、技術的な困難さと、それを全く感じさせてはいけない高次の平穏さ、静謐さ……。今の私が、その境地に到りえているとはとうてい言えない。しかし、この曲に向かう自分の心に、ある種の落ち着きのようなものを見つけた、ような気はする。
この曲はフランス風序曲のリズムで始まる。それは神を心に迎えることを意味する。フランス風序曲はオペラの開始部で、実際に王様が劇場へ入来するのを迎えるための物だった。「クラヴィア練習曲集第3部」、つまり、ドイツオルガン・ミサと呼ばれる曲集の最初に置かれたこのプレリュードで、バッハは神を王として迎えよ、と宣言しているのだ。
フランス風序曲は通常後半がフーガになるのだが、この曲の場合もプレリュードの内部に二つのフーガが取り込まれている。つまり、フランス風序曲がちょうど2倍に拡大された形になっているのだが、その間に主調から属調、下属長と転調氏、トゥッティとソロの交代によって推進力を生み出す、あのイタリア風コンチェルトの作法が応用されているのだ。つまり、フーガ部分がソロに当たるわけだ。
 フランス風序曲とイタリア風コンチェルト、それは当時のヨーロッパ音楽の2大潮流を代表するジャンルだった。バッハを含むドイツ人はそれらを学び自分の物とし、ドイツ人好みの堅固な構造に組み立てて様々に応用していたのだが、ここまでの規模でこの二つを統一融合した例は他に無いだろう。
 フーガがまたすごい。プレリュードが空間的にヨーロッパを統合しているとすれば、フーガは時間的な変遷、音楽史の総合なのだ。このフーガは三つの部分から成る。その三つを同じ主題で統一する、いわゆる3重フーガである。第1フーガは全音符、2部音符、4部音符から成る、いわゆる古様式のフーガだ。パレストリーナに代表される16世紀の声楽ポリフォニーの典型に、バッハは先祖帰りしているのだ。
 続く、第2フーガ。これは次の世紀である17世紀の典型的なフーガ。8部音符を基調とする4分の6拍子。息をつかせず流れるような主題、第1フーガのそれとは対照的な器楽的な音型だ。17世紀は器楽が爆発的に発達した時代だった。そして、最後の第3フーガ、8分の12拍子のジーグ舞曲のリズムを使い、16部音符を基調とするこのフーガは紛れも泣くバッハ自身の時代、つまり18世紀の立体的で躍動的なフーガを代表するに相応しい。
 さて、第1フーガで提示される主題は父なる神を表す、と言われる。これが三つのフーガを統合している。第2フーガは子なるキリストを表す、とされる。確かにこの主題は小まめに動きまわり、「働き者のキリスト」という感じがする。
そして、第3フーガは聖霊を表している。飛び回るような軽やかさは確かに聖霊を思わせる。音楽的に見ても、また宗教的な見地からしても、この最後の部分に三つの主題が全部揃って壮大なクライマックスに到って欲しいところである。ところがバッハは、最後のフーガに「第2フーガのキリストの主題」を登場させていない。キリストの主題はどこへ行ったのだろう。
 この問題は私を長年悩ませてきた。それがある時、生徒と一緒にこの曲を勉強していて、ふと気がついた。キリストは死んで復活した。だから、元のままの形で再登場することはないのだ、ということを。
そういう目で第3フーガを再点検してみると、「キリストの主題」の変形された形がちゃんと組み込まれているではないか。バッハは、3世紀の歴史を総合し、合わせて、3位一体を表現し、あまつさえ、キリスト教の最大の奥義を音楽化しているのである。何と驚き入る他ないではないか。
バッハはたぶん普通の人間だったろう。彼の手紙を読むと、「給料が安い」とか「あのワインは不味かった」とか、上司に対する愚痴とか、そういう有り触れた雑事に満ちている。彼の音楽を愛する我々からすると、少し興醒めなほどだ。しかし、彼の置かれた空間的、時間的地点は全く特異なものだった。そこから来る問いかけに彼は全霊で答えた。才能と努力を傾け尽くした。
私も自分の置かれた時空の位置に思いを馳せてみる。しかし、今自分が登っている山の全景は見ることができない。何度か死んでみなければ分からないのかも知れない。

録音@所沢ミューズ・ホール

昨日と今日は、所沢ミューズ・ホールに一日篭っている。
ここのオルガンは大オルガンと言うに相応しい規模だ。足鍵盤と4段手鍵盤がそれぞれ10個以上のストップを持っているから、全体ではおそらく70個以上になるだろう。今日数えてきます
手鍵盤はいちばん下の鍵盤が主鍵盤となる、いわゆるフランス・イギリスタイプで、3段目と4段目が各々個別のスウェルボックスに入っている。だから、強弱変化が小まめに付けられる。このスウェルを最大限に使う曲として、ハウウェルズの作品を二つ選んだ。
ハウウェルズの譜面には、ちょっとうるさ過ぎるほどの強弱の指示がある。1896年生まれのハウウェルズは、20世紀イギリスでかなり名の知られた作曲家だった。古楽的な方向に傾斜しており、クラヴィコードのための作品などもある。
「六つのオルガン曲」で彼がやろうとしていることは、しかし近代オルガンの発達したスウェル装置とカプラー機構を生かすこと、それを古楽的な、エンシェントな曲想と融合させることにあったと思われる。
所沢ミューズの響きは大ホールの割りに残響が多すぎず、音の振る舞いが繊細に伝わる。今回の録音ではその響きを活かして、あまり大きな音を使わず、静謐な揺らぎのようなものを録ることを目指したい。
プログラムは、バッハ、メンデルスゾーン、ブラームス(私の編曲)、ラインベルガー、そしてハウウェルズだ。それぞれに適した引き方、音楽との距離感、歌と語りのバランス、つまり子音と母音の良いバランスを見つけるのにエネルギーを使っている。大オルガンを弾きこなすというだけでも、そうとうに消耗するのだが。
昨日なども終了間際に眩暈を覚えた。
この録音は昨日今日、そして、27・28の二日間を使って行われる。作戦を練る時間は十分にある。
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